物質と物質の関係性から生まれるのが「空間」であり、「空間」は 存在の「無」を表意するものではなく、物(物質)には、その物
独特の気質 が有り、存在を示す様な気がします。
その気質・存在を読み取り、物(物質)と物(物質 )の関係性を
作り上げ,その物の集合体(建築)を造る作業が、「設計」 だと考えています。
又、 物(物質)と物(物質)の「間」に存在するものが「空間」であり、それらを
認識する為には、「時」の流れが必要になります。
その「時」により 物(物質)と物(物質)の関係性を読み取り、「空間」の存在を確認する事が 出来るのではないでしょうか。
建物を 建てようとする土地にも その「時」の流れが有り、 物(物質)と 物(物質)の関係性が 存在します。 それが「環境」であり、 この環境を 断ち切るか、受け入れ 調和させるかは、この「間」を 一時借り受ける 「人」 によって決定されます。
この「人」の考えは、「時」の流れの集約に影響され、 「時代」により変化する 。
変化を好む時代には現存する「間」を断ち切り、その逆では 調和へと走る。
そして 現存する「間」を断ち切る場合は、「人」の奢りが見え隠れします。
又、 便利さや経済性・社会の風潮が 優先された調和という言葉には、物(物質)と物(物質)の「間」や、「空間」・「時」の流れの「間」を読み取る行為は
無視され、それらの関係性の確認も嫌う。
そして 実態の無い調和という言葉だけが一人歩きしてはいないでしょうか。
そこに有るのは、「空間」や「時間」そして「人間」ではなく、絡みの無 い、実態の希薄な「空」 であり、「時」・「人」ではないでしょうか。
それは、まさに「間」抜けでしかありません。
大変に厄介な事では有るが、私達は、物(物質)と物(物質)との関係性から生ずる「間」を認識しなおす必要が有る のではないでしょうか。
「生」から「死」へと流れる「時間」・・・・、
それを取り持つ「空間」、「人間 (社会)」の認識・・・・・・・・、
その「間」に絡む「自己」の認識 ・・・・・・・・・
住宅建築においても、便利さや経済性から、画一化されたものが、社会に氾濫し、豪華さや大きさ、逆に安さを競い、実態を見失いがちになる。
更に、社会の流れは 、暑さや寒さの自然を如何に遮断するかが主題になり、住宅からは、時の流れ(季節)を味わう 風流さや、人と人が触れ合いを 楽しむ頃合の大きさ(狭さ)=数寄=が消えつつあります。
その様な状況を、 踏まえた上で物(物質)と物(物質)との関係性に「時」や「人」の「間」を絡ませ、更に
建物の存在を支える「土地」が持つ エネルギーを絡ませ、その「場」に 静かに建物を置きたいと 考えています。
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