A . A . fromnow Human Report 第六項 シュタイナー研究 / 精神科学と自然科学

シュタイナー(顔イラスト)
---- 自然科学と精神科学の融合 ----

自然科学 / 医学 -”死”と”死後”そして”臨死体験”
シュタイナー(顔イラスト)


意識、自覚、思考、愛、他者との関係は、肉体の死滅と共に滅びるのか?
・・・・・・・ それとも不滅なのか? ・・・・・・・


☆ ☆ ☆

1979年にアメリカの心理学者が行なった、興味深い研究データーがあります。
彼は、新聞に「あなたのホロスコープを無料であげます」という広告を載せました。 そして、応募者には生年月日や必要データーを書き込んでもらい、その応募者全員に全く同一のホロスコープに解説書とアンケート用紙を同封して送り返したそうです。  結果は、回答者150名のうち94%の人が、この占星術は正確に自分のこと・性格などを記述していると回答し、そのうちの90%は、家族や友人もその事を認めたということです。
この研究データーは、”予言・運命・占い・未知のもの”などに対する”人間の心理動向”を表したものです。




・・・・・・・・ ≪ ”人間” とは何なのか? / ”我(私)” とは何なのか? ≫




また、この分野(”死”と”死後”そして”臨死体験” )の多くの書籍、体験記を読んで私が感じたことは、90%以上のものが論理性・信憑性にかけ 且つ、宗教的でもありすぎて、途中で書籍を閉じてしまいました。
尚、私は、科学的(デカルト的)な論理性・信憑性ということを述べているわけではなく、私個人の感性/思いと言ったほうが良いかもしれません。 繰り返しますが、この分野では、論理性・信憑性といっても判断する基準がないので、前述はあくまでも私の個人的な見解でしか有りません。
そして、誤解のないようにこれも書いておきますが、この分野の書籍・著者は、驚く位に真剣で、著者にとっての真実を叙述しているようです。 私は、その姿勢は理解できるし、否定も肯定もしないスタンスを心掛けていますので、この分野の書籍・著者の叙述を、否定する気は毛頭ありませんが、私の感性/思いとの違いは感じてしまいました。
更に、誤解を恐れずにもう少し詳しく書くと、一部には著者の体験や叙述で、読者を宗教的に誘導したり、商売的にと考えている向きも有りましたので、それなりの注意は必要かと思いました。
しかし、残りの10%弱のものには、私が ”感じる何か!/ 参考になる何か!”がありましたので、その研究者と医学者、そして書籍をここに紹介します。




その前に、横たわる謎!
D'art De Catalunya/神の出現:撮影禁止故にスケッチで描く
D'art De Catalunya / 神の出現 : 撮影禁止故のスケッチ


”誰”が、”人間”を創ったのか ?
”神”はいるのか? いるとしたら、いつどのように現れたのか?




☆ 不思議な話 ☆

アガスティアの葉

インドの”チェンナイ”近郊の山村に”アガスティア”という聖者が古代タミル語で書いた「各人間の預言書」があるという。
その預言書は「アガスティア・ナディ(Agasthya Nadi)」と呼ばれている。
”アガスティア”は、アーリア民族が北部インドから南下した時代の人らしいが確かではない。
資料によると5,000年位前の人だということである。
この預言書を解読する人をナディ・リーダー(Nadi Reader)といい、代々この預言書を捜し求めてきた人のために預言書を保存し解読する作業をしている。
現在の世界人口は約70億人です。  その人達が100年で入れ替わると想定して、1000年で約700億人/5000年で3500億の人になる。  昔の人口はかなり少なかったので、その1/10としても350億人となり、未来の人を想定すると果てしない人間の予言ファイルになる。
・・・・・・ そんなことがありうるのだろうか?
日本の某医学系科学者が実体験をして、その神秘と疑惑に迫っています。
彼は、個人情報はまるっきり伝えずにナディ・リーダーに挑んでいます。
対面後、親指の指紋だけをとり、しばらくして!
ナディ・リーダーは、持参した三巻の葉の束のち二巻の葉の束から一枚の”葉”を探し出し、そこに書かれていることを読み始めた。 
そこには父親の名前や母親の名前、兄弟の状況、そして、自分しか知らないはずの自分の今までの事やこれからの事が書かれていたという。
更に、ここ(インドの”アガスティアの館”)に何歳のときに現れると記載されていて、まさにその年齢であったことやその他のことを言い当てていたと言うのである。 
驚いたことに、その預言書には自分の死の時期や死に方まで記載されていたらしい。

・・・・・ この世での、各人の人生は誰か(神など?)に決められているのだろうか?
・・・・・ まったく理解不能で不思議なことがおきる!

------------------------------------

医学系科学者 「結局、我々の運命は、このように決まっているということなのでしょうか。」
ナディ・リーダー 「そう言わざるを得ないでしょう。」
医学系科学者 「世界には、いま5,60億の人がいます。数千年の間には、さらに膨大な数の人々がこの地球上で生きてきたし、今後も生まれ続けるのです。 その中には、輪廻転生による重複があるのかもしれませんが、それにしても全員の分はないでしょう。」
ナディ・リーダー 「もちろんです。アガスティアは、読みにくる人の分のみを残したのです。 いつ、何歳の時に来るのかも含めて。読みに来ない人の分を書いても、仕方がないでしょう。」



この医学系科学者は、「過去世からのカルマの結果として、われわれには運命というものが確かにあると思う。  そして神に祈ることや神の意思、あるいは自分自身の意思で、それが変更されることもあるだろう。  ただ、本当にそうなるかどうかは我々の理性では計り知れない。  だから、そのときのために、今から、準備しておくのだ。
無事に過ぎたら、そのときは祝杯をあげよう!」
 と述べている。

≪ 註 ≫
医学系科学者=青山圭秀氏
東京大学で物理や精神医学を学んだ理学博士/医学博士
アユルヴェーダーやホロスコープに興味を持ち、西洋医学と東洋医学の融合を模索している。



神のみぞ知る

☆ ☆ ☆

キリスト・イエス

”神”


≪自然科学≫

宇宙物理学者/科学者・USA Carl Sagan 「COSMOS」より!

物質は突然、無から作られたのだろうか。それは、どのようにして起こったのだろうか。
多くの社会の人達が、この問題に対して、ふつう 「神が無から宇宙を創造した。」と答えてきた。
しかし、それは一時しのぎの答えにすぎない。 もし、私たちがこの問題を勇敢に追及しようとするなら、私たちはもちろん、次に「その神はどこから来たのか」と尋ねなくては成らない。 そして、もし「その問題には答える事が出来ない」と私たちが言うのであれば、なぜ神の創造などと言わずに「宇宙の起源は、答える事の出来ない問題だ」と言わないのだろうか。 あるいは、もし「神は常に存在していた」というのなら、なぜ神などを出さずに「宇宙は常に存在していた」といわないのか。・・・・・・・  略

・・・・・・・人間のどのような社会も「自然に循環がある」という事実を知っていた。 しかし、もし神がそのような循環を欲しなければ、どうして、そのような循環が起こりうるのだろうか。 起こりうるはずがないと考えられていた。
また、人間の世の中に循環があるならば、神々の世界にも循環があるだろう、と考えられていた。 宇宙は、生と死との巨大な、まさに無限の繰り返しである、と考えた人達もあった。
そのような考えを信じた、世界でただ一つの宗教はヒンズー教であった。 疑いもなく偶然によるものであるけれども、ヒンズー教の時間の尺度は、現代の科学的な宇宙学と一致している。 このような一致がみられる宗教は、ヒンズー教だけである。 ・・・・・ ビックバン以来、宇宙が膨張し続けていることは、どうやら本当らしいが、しかし、永久に膨張し続けるかどうかは、決してあきらかではない。 膨張は次第にゆっくりしたものとなり、やがて止まり、逆向きになるかもしれない。 ・・・・・このような因果関係の逆転は何を意味しているのか。 それを分かったようなふりをすることは、私たちには出来ない。
そんな時代になったら、人々は墓の中から生まれ、子宮のなかで死ぬのだろうか。 時間は後ろ向きに流れるのだろうか。 こんな問いに意味があるのだろうか。 ・・・・・もし、逆に宇宙のなかの物質が、ある臨界量よりも少なければ、遠ざかってゆく銀河の引力は、膨張を止めるだけの力がなく、宇宙は永久に膨張し続けるだろう。






神がいるとしたなら、・・・・・・・・・ 私見
世界中で宗教紛争により殺され・苦しめられ・悲しむ人々・子供達がいる!  そして、皆が神に祈っているのに、何故に神は、”沈黙”を続けていられるのだろうか?

----------------- ▽ -----------------

司祭/パードレの心の葛藤  ・・・・・・・・ 遠藤周作 / 『沈黙』 より
「 主よ。あなたがいつも沈黙しているのを恨んでいました。」
「 私は沈黙していたのではない。一緒に苦しんでいたのに 」



自然科学/医学からみた”死”と”死後”そして”臨死体験”
《 真剣に研究している方々とその書籍 》


現代の医学的情報からの「不死と末生:臨死体験」


自然科学/医学(精神的)の見地から - NO1

ダニオン・ブリンクリー/ポール・ペリー共著、レイモンド・ムーディ医学博士解説の「未来からの生還」/同朋舎出版・と言う本があります。 この本の最初にアメリカでダニオン・ブリンクリーが現実に体験した事が書いてあります。
彼は、死後・幽体離脱をし、上から自分の姿を見ながら光のトンネルを上昇し 光のプリズムに包まれ、その更に上の大きな愛に包まれた場所で「自分の全人生の回想」が始まった。 その回想は、全て自分が遣ってきた相手又は、相対的な立場での細かい回想だった。 人生の中で自分が与えた苦しみや精神的な苦痛を全て逆の立場で味わったそうだ。 回想を終えると、反省し打ち震える自分に「光の存在」は無条件の思いやりのようなもので彼を包みこんだ・・・・・・。
同じような事が書かれていますので、シュタイナー叙述の”眠りと死” ( ”A.A.fromnow” 資料5”心に残った言葉集”の”死後・人の眠り /≪死後≫” - 下記:R . Steiner/REMARKをクリック ) を読んでみて下さい。

レイモンド・ムーディ医学博士は、「 担当医が死の断定を下した後に蘇生した人や事故などによって死に瀕した人など150例 」 についての体験談を集めリポートを作成しているが、それらには共通点があるという。 但し、150例中3例は共通体験を一切していないことも述べている。
その共通点は、「まず耳障りな音が聞こえ、暗いトンネルを猛烈な速度で通り抜けたように感じ、自分の物理的な肉体を抜け出て、ある距離を保った場所から、傍観者のように自分自身の物理的な肉体を見つめている。 自分にも「身体」が備わっているが、この身体は物理的な肉体とは本質的に異質なもので、特異な能力を持っていることが分かる。 既に死亡している友人や知己の霊がすぐそばにいることも、なんとなく分かる。 今まで一度も経験したことのないような愛と暖かさに満ちた霊 − 光の生命が現れ、自分の一生を総括させる為の質問を投げかける。 生涯の主な出来事を連続的に、しかも一瞬のうちに再生して見せる事で、総括の手助けをしてくれる。 そのうち、一種の障壁とも境界とも言えるようなものに少しずつ近づいている事が分かる。 激しい歓喜、愛、やすらぎに圧倒されそうになるが、意に反して、どういうわけか再び自分の物理的肉体と結合し、蘇生する。 このような体験は、その後他人に話そうとしても、適切に表現できる言葉が見つからず苦労する。 この体験をした後で、自分の人生は大きい影響を受け、自分の人生の巾と奥行きが深くなったように感じる。」
ムーディ医学博士は、これらの体験談と「チベットの死者の書」 / 「スウェーデンボリの霊的体験」等や古来からある死後の世界に関する記述の類似性に注視すべき点があると述べている。

以上のような現象を、多くの科学者・医学者は脳の問題と片付けてしまいます。 未知の世界の出来事で分かりませんが、共通する何かがあるような気がしてきました。 この世界で起こりうる全ての事象が判明されている訳ではないと考えるので、この様な考え方を信じて人が優しく成れるのでしたら、信じてみる価値はあるのではないか ・・・・ と思いつつ、一元論/物理主義(Physicalism)から抜けきれないでいる私は、理屈(物質的感覚世界)ではオカシイと思っていて、この理屈がシュタイナー思想を理解するうえでも邪魔になる事が有ります。
正直な話! 解らない或いは未知の世界に対しての姿勢は、本当に難しい! つい、解ったようなフリをしてしまう。



自然科学/医学(物理的)の見地から - NO2

「自分が死んだときに、体から魂が抜けるのを見た」などという「臨死体験」は、関心を呼ぶことが多いが、医学的にどんな現象なのかはほとんどわかっていない。 しかし、スイスの研究チームがてんかん患者の脳のある部分を刺激すると、患者が臨死体験することを偶然見つけ、英科学誌”ネイチャー”に発表しています。
スイス・ジュネーブ大学病院神経科のオラフ・ブランケ博士は、てんかんの女性患者(43才)を治療中、右大脳皮質の「角状回」と呼ばれる部分を電極で刺激したところ、必ず患者が「自分の体から抜ける」ような情景を体験したことを確かめた。 この患者は、過去11年間てんかんに悩まされ、ブランケ博士らは、てんかんの原因になる脳の場所を突き止めようとしていた。 患者の脳には100個以上の電極がセットされ、場所を変えて次々に刺激が与えられたため、チームは「患者が脳の特定の場所の刺激によって臨死体験を見た『ふり』をした可能性はほとんどない」と考えている。
「角状回」は、体や空間の認識、論理的な順序づけを統御する、脳の中でも複雑な部分です。 クリーブランド医療財団のシンディー・クブ博士によると、「角状回」に異常がある患者は、ズボンをはいてから下着をはこうとし、そして「何かおかしい」と気づいたりするという。 また、手や足が体とつながっていないと感じたりするという。
臨死体験は、脳のどこかの神経細胞で、情報伝達の途切れや誤りが起きているのが原因ではないかとみられているが、特定の部分が関与していることを示唆する「結果」は珍しい。
今回の結果は、臨死体験を研究しようとして得られたものではなく、偶然発見された。 比較されるべき対照患者グループも用意されていない研究だが、この分野の専門家は「説得力があるものだ」と評価している。



≪参考≫ 現代の医学的情報からの「過去と現在」 / 「金縛り」/ 「臨死体験」現象


人間は、「過去」と「現在」をどのようにして理解できるのか?

自然科学/医学的には、大脳皮質の前頭前野にある「眼窩前頭葉」というところを損傷した人は、正しい時間順序が理解できなくなり、「過去」と「現在」の区別がつかなくなるそうです。
時間の流れは脳の前頭前野にある「眼窩前頭葉」が司っているわけです。 ですから、脳のこの部分の損傷や変化により「時間的観念を超越した体験」が存在するようです。


それでは、「金縛り」現象とは?

自然科学/医学的には、人が眠りに入る時に、脳の眠りと身体の眠りがズレることから起こる現象です。
脳が眠ると、覚醒した意識が消えるらしいのです。 身体が眠ると、筋肉が弛緩し、意識のコントロールを受け付けなくなります。 両者が同時に起これば、何の問題も起こらないし、実際・同時に起こるのが普通です。 ところが、これがずれる事がある。 すると、脳はまだ覚醒しているのに、身体が先に眠り込んでしまっているという状態にある。 すると、脳が身体を動かせと指示しても、身体は動かない。声帯も動かないから、声も出せないということになる。 医学的にこれは「睡眠麻痺」と呼ばれる状態である。 意識は麻痺した肉体の中に閉じ込められてしまうので、心理的なパニック状態に陥ってしまう。 これが「金縛り」です。

私は、過去(20年程前)に二回ほど「金縛り」状態になりました。 その時は、パニック状態の意識と麻痺した肉体の中で甲冑を纏った武士の亡霊に押さえ込まれた記憶がありますが、医学的に分析すると上記のようになるようです。
科学的解釈ではこれだけのことですが、その時・私は動かない体と出ない声のなかで、心底から「負けてたまるか!」と叫んだような気が致します。 今でも覚えていますが、その時の恐怖や違和感は通常では味わえないものがありました。



≪参考 - フインランドの女性医師の臨死体験論≫

立花隆氏の「臨死体験」という上下/2巻の大作にあるフインランドの女性医師/ラウニ・リーナ・ルネカン・キルデ医学博士の臨死体験に関する叙述の一部を記載いたします。

「 臨死体験を既存の枠組みに入れて科学的に説明しようとする色々な説があるんですが、そのどれもが私を納得させることは出来ませんでした。
もう一つの例をあげると、薬物説がありますね。 麻薬やLSDなど、似たような幻覚や快感をもたらす薬物が存在する。
だからこれは、そういう薬物と同じ効果をもつ脳内麻薬物質の作用によるものだろうということで、エンドルフィンなどがその候補として取り上げられています。
私は、医者だから知っていますが、エンドルフィンを人間に投与すると、快感や苦痛の除去という効果があるのは事実ですが、同時に眠気がもたらされて、意識レベルが低下し頭がぼんやりしてくるのです。 しかし、臨死体験では精神が澄みわたり、頭は冴えてきて、論理的思考能力が全く失われません。 これは、エンドルフィンにより、一番簡単な説明を採用するのが正しいのだと思うようになりました。
一番簡単な説明というのは、これは、物理的な日常世界をはなれたスピリチュアルな体験だということです。 物理的な三次元世界をはなれて四次元の世界に入ることだといってもいいと思います。 要するに、臨死体験というのは、この日常世界を成立させている次元とは別の次元の世界へ渡る橋のようなものだといいたいのです。

それは、”死”ではないのです。 いわゆる”死”は存在しないのです。 ・・・・・・・死と考えられているものの実体は何であるかといえば、この三次元の世界で我々が着用している肉体という衣を脱ぎ捨て、別の次元に入っていくことなのです。
・・・・・・・三次元から別の次元へ存在のシステムを移しても、肉体を離れたあなた自身の本質的存在には変化はありません。 別の次元においてあなたは存在しつづけ、考えつづけ、感じつづけます。 だから、”死”を恐れることは何もないのです。 医者も早くそれに気が付いて、ターミナル段階にある者に、それを教えてやるべきだと思うのです。 」

キルデ医学博士の書籍(臨死・体外離脱等の超常現象体験談)/「クオロ・ミヨラ(フインランド語 / 死は存在しない!)」

Copyright (C) 1991 All rights reserved by A . A . fromnow

(fromnow作成)高原の雪景色・冬

IN THE NATURE OF A PHILOSOPHY



臨死研究者・書籍紹介



■1 エリザベス・キュプラー・ロス医学博士 / スイス USA
「死ぬ瞬間」 「新死ぬ瞬間」 「死ぬ瞬間の誕生」
「死ぬ瞬間の子供達」 「死ぬ瞬間の対話」 / 読売新聞社
スイス生まれの彼女は、アメリカ人の神経生理学者と結婚して、シカゴ大学やコロラド大学などで教鞭をとるが、現代医学やターミナル・ケアーのあり方に疑問を感じ現代医学関係の道を離れ、独自のターミナル・ケアーを提唱しながら講演活動をしたりして、今はヴァージニアの山里で自給自足の生活を送っている。彼女と下記のムーディ氏は、臨死体験研究の先駆者で、彼女自身も、前世(アメリカインディアン)のことについての不思議な体験や予知体験をしている。
■2 レイモンド・ムーディ医学博士 / USA
「かいまみた死後の世界」「続かいまみた死後の世界」 / 評論社
光の彼方へ / TBSブリタニカ
臨死体験研究の草分け的な存在で、担当医が死の断定を下した後に蘇生した人や事故などによって死に瀕した人など150例についての体験談を集めたリポートなども作成している。
彼は、「かいまみた死後の世界」でこう述べている。『臨死体験を持って死後の世界の存在証明であると考える人もいますが、私は、これはそういう証明にはならないと思っています。かといって、一部の人が主張するように脳内の現象として、脳生理学や精神医学が説明できるとも思わないのです。つまり、科学的にはどちらとも決着がつけられない問題だと思っています。』
■3 ケネス・リング教授 X ブルース・グレイソン教授 / コネチカット大学 USA
臨死研究ジャーナル  / コネチカット大学・国際臨死研究機関
ケネス・リング教授 / コネチカット大学 USA
オメガに向かって
いまわのきわに見る死の世界 / 講談社
ブルース・グレイソン教授 / コネチカット大学 USA
臨死体験者と超能力現象調査研究 「臨死体験」 春秋社
■4 カーリス・オシス/エルレンデゥール・ハラルドソン
人は死ぬとき何を見るか / 日本教文社
■5 カール・ベッカー教授 / 京都大学
仏教思想と臨死体験研究 / 本人も「夢での特異体験」などがある
論文「出生モデルでは、なぜ 臨死現象の説明が出来ないか」
■6 チャールズ・タート教授 / カリフォル二ア大学デービス校
宗教学者 意識の変容状態研究・夢の同時性研究
■7 キャロル・ザレスキー / UK
あの世への旅 / オックスフォード大学
■8 毛利孝一 / 名古屋大学医学部教授
生と死の境 / 東京書籍
■9 オラフ・ブランケ医学博士 / スイス・ジュネーブ大学病院神経科
てんかん患者と臨死体験の因果関係を英科学誌ネイチャーに発表
■10 シンディー・クブ医学博士 / クリーブランド医療財団
臨死体験と脳の一部の神経細胞と情報伝達の因果関係研究
■11 イアン・スティーブンソン医学博士 / ヴァージニア大学 医学部教授 USA
対面調査による前世研究 「前世を記憶する子供達」 / 日本教文社
■12 ロバート・アメルダ博士著 / ジョージア大学教授 USA
死後の生命
■13 ジョエル・L・オイツトン著 / トロント大学医学精神科主任教授  カナダ
輪廻転生
■14 ブライアン・ワイス医学博士 / 精神科医 USA
前世研究
■15 サトワント・バスリチャ著 / INDIA
前世を記憶するインドの人々
■16 ダニエル・B・カー医学博士 / ハーバード大学 USA
臨死体験と脳(大脳辺縁系)の機能異常現象研究
■17 ラウニー・リーナ・ルーカネン・キルデ医学博士著 / フインランド
死は存在しない
■18 チェリー・サザーランド教授 / ニューサウスウェールズ大学
臨死体験者と超能力現象調査研究
■19 マーゴット・グレイ心理学者 / UK
死からの帰還
■20 ハーバラ・ハリス / IANDS(国際臨死体験研究協会) USA
生き返る
ハーバラ・ハリスの臨死体験
■21 フィリス・アトウォータ / 臨死体験者 USA
生き返る
■22 D・チャンバレン博士 / USA
誕生を記憶する子供達 春秋社
■23 サトワント・バスリチャ
イアン・スティーブンソン / ヴァージニア大学医学部教授

インドの臨死体験
■24 ドロシー・A・カウンツ / ヴォータール大学≪人類学教授≫ カナダ
ニューギニア・カリアイ民族の臨死体験
■25 スーザン・ブラックモア / プリストル大学 脳知覚研究所教授 UK
本当に体外に出るの?(体外離脱現象)
■26 マイケル・B・セイボム / 心臓外科医師 USA
「あの世」からの生還 日本教文社
■27 R・ファインマン / 物理学者・1965年ノーベル物理学賞受賞 USA
自叙伝 「ご冗談でしょう、ファインマンさん」 岩波書店
■28 ジョン・C・リリー / 生物学者・精神医学者 USA
「意識の中心ー内的空間の自叙伝」・「サイエンティスト」・「知覚の扉」 平河出版社

彼は、感覚遮断装置「隔離タンク」を造り、脳内現象実験を自らも行い、脳内現象で全てを説明できないことを感じている。 そして、臨死体験もし、不思議な体験もしている。
それは、光のほかには存在しない大きな空間のなかで、自身が「意識」「感情」「知識」が一つの点になる世界に入り、聖人・ケルビム(智天使)やセラヒューム(熾天使)などに囲まれたという。
そのような体験後に、 【 人間以外の存在など本当に存在するのだろうか。 私の心とは単なる脳の演出能力に過ぎないのだろうか。私の中には、私を超えて広がる何かが存在するのだろうか。 私の内的リアリティは、何かが存在することをたびたび約束してきた。人間の形をしたこの肉体が死んだとき、私を超えて存在し続ける何かが存在するのだろうか。 『そのとおり、人間を越えた”存在”が存在する』という私の肯定的な答えは、地上的な存在を超えて生き残りたいという私の脳と身体の単なる願望の産物に過ぎないのだろうか。 私の全て、≪ 意識、自覚、思考、愛、他者との関係 ≫は滅びるのか、それとも不滅なのか。】 と述べている。




「藪の中」に光が差し込む訳ではありませんが、神秘学とは対極にあると思われていた自然科学・現代医学の学者や研究者が、”臨死体験””死後””体外離脱”調査研究やその現象と脳との関係の研究や調査をしています。
これは、時代の要求からか、自然科学だけでは納得/解決出来ない情況が多々生まれてきたようです。どちらが正しいかという見解から離れて、上記の書籍も”学びの参考”にしてみて下さい。
レイモンド・ムーディ医学博士の臨死体験研究にある記述ですが、多くの臨死体験者にある話として、しばしば”案内人或いは自らの守護天使”が登場し、自分の一生を逆にふり返らせ、その後の礎にした。 とのことですが、シュタイナー叙述の”眠りと死”の一部に似ていますので、興味のある方はお読み下さい。

超常現象・体験の多くの部分が、客観的異常現象ではなくて、脳内異常現象がもたらす主観的思い込みではないかとする意見もあります。 反面、その思い込みとされる部分を削いでいくと、”自然科学では説明不可能な部分”が残ります。 今後、その部分の多くも科学的に解明されていくと思いますが、それでも必ず残ってしまう部分があると思います。 その部分が、客観的事実として解かる時期が来る方が良いのか 或いは、神に委ねる方が良いのか ・・・・・・・
・・・・・・・ そんな事を考えながら、この”項”を作成しました。





”筆者の独り言コーナー”


”学び”------ 精神科学 / ”学び”を重ねてきたが、・・・・・・・・・

もう直ぐ、”沈黙”というファクターが私を飲み込むだろう。
この”沈黙”に飲み込まれてしまえば”無”の安らぎが待ち受けているのかもしれない。或いは、シュタイナーが述べているようなことが待ち受けているのかもしれない。 ・・・・・・ この世からでは、何が待ち受けているのかは見えてこない。
いくら問いかけても、神々が沈黙しているように、先にこの”沈黙”に飲み込まれた人々も沈黙し、この”沈黙”もまた沈黙している。 ・・・ 何を学ぼうが、何を修練しようが、”沈黙”は沈黙し続ける!/ まさに、”道理にかなっている。”




最近気になる”般若心経”! 

色即是空−空即是色−是諸法空相−不生不滅−不垢不浄−不増不減−是故空中−無色無受想行識−無限耳鼻舌身意 −無色声香味触法−無限界乃至無意識界−無無明亦無無明尽−乃至無老死−亦無老死尽 ・・・・・・・・


≪ 般若心経の現代風解釈/訳 : 生命科学者/柳澤桂子氏 ≫

私たちは 広大な宇宙のなかに 存在します
宇宙では 形という固定したものはありません
実体がないのです
宇宙は粒子に満ちています 粒子は自由に動き回って形を変えて
おたがいの関係の 安定したところで静止します
形のあるもの いいかえれば物質的存在を 私たちは現象としてとらえているのですが
現象というものは 時々刻々変化するものであって 変化しない実態というものはありません
実体がないからこそ 形をつくれるのです
実体がなくて 変化するからこそ 物質であることができるのです
あなたも 宇宙のなかで 粒子でできています 宇宙のなかの ほかの粒子と一つづきです
ですから宇宙も「空」です あなたという実体はないのです あなたと宇宙は一つです
宇宙は一つづきですから 生じたということもなく なくなるということもありません
きれいだとか 汚いだとかいうこともありません
増すこともなく 減ることもありません
「空」にはそのような 取るに足りないことはないのです
「空」という状態には 形もなく 感覚もなく 意思もなく 知識もありません
眼もなく 耳もなく 鼻もなく 舌もなく 身体もなく 心もなく
形もなく 声もなく 香りもなく あなたをさわるものもなく 心の対象もありません
実体がないのですから 「空」には 物質的存在も 感覚も
感じた概念を構成する働きも 意思も 知識もありません
眼の領域から意識の領域に至るまで すべてないのです
真理に対する正しい智慧がないということもなく それが尽きるということもありません
迷いもなく 迷いがなくなるということもありません
それは「空」の心をもつ人は 迷いがあっても 迷いがないときとおなじ心でいられるからです
こうしてついに 老いもなく 死もなく 老いと死がなくなるとういうこともないという心に至るのです
老いと死が実際にあっても それを恐れることがないのです ・・・・・・



最後まで、ありがとうございました。


≪ 特集命題の答えらしきもの! ≫

命題 ”人間”とは何なのか? / ”我(私)”とは何なのか? 
  ”私たち人間” は、なぜ悩み、苦しむのだろうか?

物質的現象を超越した解釈/理解が必要な言葉(理念)ですが、・・・・・・
この命題の私なりの答え : ”空 / 無常”! ・・・・ 何もかも無かったこと! いや、ないのです。
”人間”も”私”も一つの論理では、存在していないのです。 だから、悩みも苦しみもないのです。
築き上げた名声・名誉・地位・冨や財産などや執着しているものの全て! 
そして、怨みや妬み・悩みや辛さ・苦しみ、迷いなどの全ては直ぐに消え去ります。 ・・・・ 貴方(私)とともに!
全ての人が平等に、全てのものが平等に消えていきます!  蜃気楼のように!
・・・・・ 最初から無かった訳ですから、”消える”のではなく”空に戻る”のです。


”空 / 無常”!
貴方(私)も、そして貴方(私)の悩みや辛さ・苦しみなども、最初から無かったのです! いや、ないのです。

こんな言葉で、今生での悩みや辛さ・苦しみ、迷いなどが消え去る訳はありませんが、この理念に気づいたこと、「空」の観念/心を持つということが”人間の智恵”ではないでしょうか? 
・・・・・・・ Anthroposophie = Anthropos (人間) + Sophia (智恵)



☆ ☆ ☆

きっと、いつかどこかで・・・・
いつか / 明日か 遠い未来か
どこかで / この地か 遠いどこかで
すれちがったり、お会いする事もあるかもしれません
もしかして、遠い過去に お会いしていたかもしれない貴方に

別枠の付録に”Science-Cosmos ☆ 自然科学/宇宙・地球・生命の不思議”を簡略的に纏めてありますので、興味のある方はシュタイナーの宇宙進化論及び生命観と共に考えてみて下さい。

・・・・・・・ A .A .fromnow * Sadhu Do-seki (道石)




私の好きな、インドの詩人「タゴール」の詩で締めくくります。

■ タゴール ■ 「RABINDRANATH TAGORE (1861〜1941)」

【 百年後 】   まさに約百年前に書かれた詩です。
時を隔て、君はだれか! それは、私であり、あなたでもあります!


いまから百年後に
わたしの詩の葉を 心をこめて読んでくれる人
君はだれか ―― 

いまから百年後に
早春の今朝の喜びの 仄かな香りを、
今日のあの花々を、鳥たちのあの唄を、
今日のあの深紅の輝きを、
わたしは、心の愛をみなぎらせ
君のもとに、届けることができるだろうか ――

いまから百年後に
それでも、ひととき 君は南の扉を開いて
窓辺に座り、 
遙か地平の彼方を見つめ、物思いにふけりながら
心に思いうかべようとする ――

百年前の とある日に 
ときめく歓喜のひろがりが、天のいずこよりか漂い来て
世界の心臓(こころ)にふれた日のことを ――
いっさいの束縛から解き放たれた 奔放で うきうきした
若やいだ早春(ファルグン)の日のことを ――
羽ばたく翼に 花粉の香りをいっぱいのせた
南の風がにわかに 吹き寄せ 青春の色調で
大地を紅く染めたのを――

君の時代(とき)から百年前に
その日、生命たぎらせ、心に歌をみなぎらせて
なんと詩人は目覚めていたことか、
どんなにか愛をこめ どんなにか多くの言葉を
花のように咲かせたがっていたことか!
百年前の とある日に。

今から百年後に
君の家(うち)で、歌って聞かせる新しい詩人は誰か?
今日の春の歓喜(よろこび)の挨拶を、わたしは その人に送る。
わたしの春の歌が、しばし君の春の日に こだましますように。
君の心臓(こころ)の鼓動のなかに、若い蜂たちのうなりのなかに、
そして、木の葉のざわめきのなかにも、こだましますように。

・・・・・・・・・・・・・ いまから百年後に!



▲UP
▲UP をクリックすると、ページの一番上に戻ります


" IN THE NATURE OF A PHILOSOPHY " ......
A .A .fromnow * Do-seki (道石)
Back to A.A.fromnow Report -Rudolf Steiner's Top


A . A . fromnow Human Report
ルドルフ・シュタイナー
ルドルフ・シュタイナーリポートの表紙にスキップします
ルドルフ・シュタイナーリポートのシュタイナー年表・遺言・詩コーナーにスキップします ルドルフ・シュタイナーリポートのシュタイナー書籍案内にスキップします ルドルフ・シュタイナーリポートのシュタイナー学校・教育案内にスキップします ルドルフ・シュタイナーリポートのシュタイナー建築(ゲーテアヌム・ドルナッハ)にスキップします ルドルフ・シュタイナーリポートのシュタイナー叙述・名言集にスキップします 自然科学(医学)/臨死体験リポート 自然科学(宇宙物理学)/宇宙リポートにスキップします


- Books No2 - Near Death
Copyright (C) 1991 All rights reserved by A . A . fromnow