【シュタイナー建築】 シュタイナー建築-No3/3 ( 筆者の個人的見解・私見の世界 ) 【シュタイナー建築】
- Architecture -
シュタイナー建築 ”1'st Goetheanumと建設に携わった人々”


シュタイナー建築とは? ・・・・・・ そこから、”建築/空間”を考えてみる。

建築心理入門 / 小林重順 著 (色彩心理・造形心理学者) - 彰国社刊

【意識/空間の恐怖】

「人の意識は流れる水のようなものである。」と、 ある心理学者(ウイリアム・ジェームズ/アメリカ)は言う。
たしかに人の意識は、瞬時も絶えるものではない。 たとえ、一人の人間が亡びても、なおその意識は、つぎつぎへと伝えられてゆく。 したがって、その底流をさぐると、意識の流れの上に現れない数々の現象を、ほりあてることができるのではないか。  ・・・・・ こうした現象の一つに、”空間の恐怖”があげられよう。
「現代人は未開人のような空間の恐怖をもたない」 と、あるドイツ学者(H・リード/ドイツ)は言った。 この説の通り、両者の間では空間の見方はかなり違っている。 原始人や未開人の造形を、引きあいにだしてみよう。
一つの木、一個の石にいたるなでも、奇怪な装飾でうずめられて、生の地のものは殆どみあたらない。 ひたすら、空間をうずめる欲求にうごかされていたのは、生の素材という空間が、かれらにある種の恐怖感を与えていたためだ、と思われる。
そこで、未知の空間、とりもなおさず親密感に乏しい空間へ、無意識のうちに装飾をほどこす----- 衝動的に手を加えることで、空間のかもしだす恐怖を意識的に取り除く。 つまり、その空間に人々の手を加え、潜在意識的に接近感を与えることが、つづまるところ、彼らの意識のうえでは空間の征服に通じたらしい。
こうした行動をとおして、はじめて、彼らは心理的な安定を保ったと考えられる。 近代に至るまで、このような空間の恐怖は、人々の無意識の世界深く宿されていた、心理的特長の一つだった。
たとえば、建築の歴史にあって、建築の内と外をところ狭きまで装飾した時代がある。
当時、人々は無意識のうちに、そうしなくてはいられない欲求に駆られていたにちがいない。 建築の表現はもとより、芸術的な衝動がそのような深層心理に支えられていることは、現代精神分析学の教えるところである。
今日、高度に空間が分化した社会にあっても、さきのドイツの学者の発言にさからうかのように、空間の恐怖は人々の深層心理に根深く秘められているらしい。 ただ、空間に対する積極的な意識と、消極的な無意識とは、相互に深い関連があって、ともかく人間の心理的な働きの裏表なのだ---- こういう捉え方から、意識の上で空間の恐怖を合理的に取り除く方法が明らかにされたに過ぎない。 それは、無意識の心理学、すなわち精神分析学の一つの大きな貢献だった。

≪参考≫
ウイリアム・ジェームズ/アメリカ:1842〜1910 心理学者・哲学者/超常現象の科学的研究に取り組んでいる。 
ウイリアム・ジェームズの法則 / 超常現象・神秘体験や予知に関する客観的証明は、ある程度の証明は沢山あるが、誰もが疑問を持つ余地のない絶対的な証拠というものは出てこない。 どうも超常現象・神秘体験や予知の証明ということは、本質的にそういう限界をもっているのではないかと思える。 超常現象を信じたい人には信じるに十分な証拠がでるが、信じたくない人には否定するに十分な曖昧さが残る。 そういう証拠しか出ないのが超常現象で、これをウイリアム・ジェームズの法則とよんでいます。

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【情緒・思考/形態感情】

ものが人の心に結びつくには、それが知覚に刺激を与え、からだに興奮をよびおこすかどうかにある。 それも快・不快のもっとも素朴な情緒的反応を、まずもたらす。建築に限らず人々が造形に出逢うと、情緒的な反応が沸き、やがて五体を貫く緊張感を生む。 よい形態はリピドへと働きかけるためだと思う。 しかし、形態感情は人の成長過程で次第に条件づけられてゆくもので、たんに快楽追求の衝動だとは一口にいいきれない。 幼い頃には、あらゆることがただ好き・嫌い、快・不快で処理されているが、そのうちに複雑なフォルムや色にも情緒的反応が条件づけられ、形態感情も分化されてゆく。 形態感情はよい造形に接するうちに、次第に獲得されるものである。 この情緒的反応は、ふつう四丘下部とか大脳皮質に深い関係を持つものである。 それでは、すぐれた建築に出逢うと、人々はどう受けとるだろうか。 その造形美は快い刺激となって、過去の経験に照応され、いろいろな感情をもたらす。 五体を貫く感動の波に、ひしひしと生命感が迫ってくるにちがいない。 こうした形態感情の昂まりこそ、人と建築の出会いにふさわしい。



【シュタイナー/ルドルフ・シュタイナー】
☆ ルドルフ シュタイナー / 建築編 ☆


since 1991
Rudolf Stener 【シュタイナー/ルドルフ・シュタイナー】

《 資料編 - 短縮版 》 シュタイナー建築 ・・・・・ シュタイナー建築とは?




※ 私は、現在のムード(流行り)に流された、ルドルフ・シュタイナーが設計した建物に対しての見方/評価、そして レトリック的な風潮には疑問/違和感を感じています。 そこで、私なりに”シュタイナー建築”を分析し、彼の造形や哲学に”建築という表現体”から迫ってみました。

私は、哲学・心理学・宗教の思考等の興味/方面から入り込んで、シュタイナー思想/人智学 ・ アントロポゾフィーを長年学んできましたが、シュタイナーの建築表現や造形に興味があった訳でありません。   正直に言うと私の表現方法/好みとは異なります。
しかし、 好みとか評価などは、社会の流れや時代・ポピュリズムに影響されますので、重要なことではありません。
重要なのは、好き・嫌い或いは良い・悪いなどの個人的/世間的な評価とは別に、 ”建築・造形や空間から何を感じるか、何が見えるか、或いは、設計者の意図や哲学/美学を感じとる”ことだと思っています。  例え、感じとった”なにか”が、自分の嗜好とは合わない/嫌悪を感じるものであっても、 冷静に”感じとったそのもの”と対峙して、作者の”言葉”を聞き取ることに尽きると思いますので、感じとった”なにか”という観点から、私なりの解釈を進めます。

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因みに、私は、人並みに悩み・考え、数多の設計競技等にも挑戦し、落選を繰り返してきました。  又、私なりにですが、建築設計を精神的に捉え、且つ、理想に酔いしれ・喰えない時期をも経験しての建築設計を生業としてきました。
私の設計手法は、シュタイナー的な表現や造形の道には進みませんでしたが、三十数年間・シュタイナーの考え方・思想を学びながら、建築設計を生業としてきました。  それ故に、ゲーテアヌム等のシュタイナー設計の建物を、好き・嫌い 或いはムードに流された見地とは異なる考え方/見方ができるのではないかと思っていますので、・・・・ お役に立てれば幸いです!
尚、私の作品の大きさや種類は、ゲーテアヌム位のものから住宅までを設計及び監理してきましたので、シュタイナーが設計してきた建物と規模や種類は似ているところがあります。
筆者設計の建物 しかし、私の建築は 巷で言われるところの”シュタイナー建築 !?”(シュタイナー風建築/シュタイナー的建築)とは、作品形態が全く異なります。  僭越ですが 、形態は異なっても、空間構築/無からの創作造形”などの楽しみや苦しみは分かるような気が致します。 ・・・・ と、私は勝手に思っています。
そんな訳で、少しばかりの”個人的感想や注釈”は許されるのではないかと思い、記載させて頂きました。 
尚、巻末の愚作掲載も、下記の注釈や感想に整合性を持たせ 且つ、一般的には分かりにくい、建築の設計というものとその過程の手法や誕生までを、ご理解頂くために載せてみました。
< 参考 : 筆者設計の建物 ( 他は、巻末に参考記載 )



--------- 芸術 / 独創 ---------


乱暴な言い方ですが! ・・・・・  私が思うところの真の芸術は、その時代の”狂人”が生むものではないかと思っています。  その作品を、理解できるのは、同じような”狂人”或いは、その時代の臭いに影響されていない人ではないか、とも思っています。 ですから、常人が分かるようなものは、どんなに素晴らしいと思っていても、その時代のポピュリズムの産物か、その時代以前の芸術作品/よいとされるものを個人的に変色した、 いわゆる、コピーでしかないと思っていますので、私のような常人は、真の芸術が分からなくて当たり前なのです。

あのゴッホでも、画商である弟がいるのに、生前には”1枚”の絵しか売れなくて生活に困窮し自殺しています。  当時の人達にとっては駄作、愚作の類の絵だったのです。 今更、ゴッホの絵は本物だ・芸術だといって、1枚数十億円の値がついても、・・・・ 本物とか真の芸術ってなんですか?
”本物とか真の芸術”  私なんぞには、分からなくて当然なのです!

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又、独創とは、ある意味では社会の評価に背を向けること、それも、無意識的に出来る才能のことではないかと思います。 尚且つ、独創的という意味合いを解釈すると、他者が理解できるようなものは、他者が理解した時点で”独創”とは言わないので、本人だけが分かるものではないかと思っています。  このような解釈で言うと、シュタイナーは ”独創的”な我が創造物を分かってもらわなくても結構! 分かってもらっては困ります! と、思っているのかもしれません? ・・・・ 全くもって、乱暴な思考ですが!

≪註≫ ここで言う、”狂人”とは、その時代を超えている人、その時代に迎合していない人、その時代の論理性を超越した考えを持っている人、 或いは、真のアイデンティティを持ち合わせた人等の意味です。

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この先も、まったくの”常人(その中でも凡人/変人の類)”の感想/説明ですので、軽い気持ちでお読み下さい。


ガウディの”カサ・ミラ(集合住宅)”は、 建築当初はぺドレラ(石切り場)と呼ばれもしたが、第二ゲーテアヌムの造形は石切り場というよりも、岩石そのもので、その岩石を削り取った造形のようにも見えるが、 そのことは、シュタイナーが設計段階で作成している粘土模型でも、粘土をそぎ落として作成しているように感じられるので一致する。
室内空間は、私の感性では少しばかり浮世離れしています。  極めつけは、グレートホールの室内造形や天井フレスコ画(シュタイナーの死後、弟子たちによって描かれている)で、造形/着色 そして、描かれたものがダイレクトな表現になっていて、少しばかり生々しく感じました。 
用途としては、アシュラムのような建築とも違うようにも感じたが、教会なのか、集会施設、学びの場 或いは、多目的/無目的施設として造ったのか、シュタイナーは、どのように考えたのだろうか?
正直/素直な気持ちで書かせてもらいます!
私は、シュタイナーの多くの黒板画やプロジェクト模型写真を見た時に、色彩感覚と空間構成(構図)に驚かされ、凄さを感じましたので、第二ゲーテアヌムの色彩/配色及び表現には満足しかねている部分もあります。
しかし、凄い建築を作ったのには変わりはなく、驚きと尊敬しかありません!

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まずは、大雑把に勝手な感想を述べましたが、”英” Occultisme / ”独” Okkultismus 或いは、Geist の世界感での建築物(造形)なのですから、このような表現でよいのかもしれません。






☆ ☆

然るに、心の中の葛藤が空間になったような!  ムンクの「叫び」のように、何かを語りかけてくるような不思議な造形!  ドイツ・ベルリン大学で”哲学”を学んだ、建築家・故・白井晟一氏(1905-1983年)の建築/形態に身を委ねた時のような  そして、光に対する独特の”感性空間”に触れたときのような不思議な感覚! ・・・・・・・  私の感性にない造形!

☆ ☆ ☆

人間性/精神性を高める! そのためのキッカケ創りや思考贅肉の削ぎ落としの場。
行過ぎた物質的な機能だとか快適性 ( 物質やエネルギーへの特化/物質文明 ) の追求に加え、表面的な自然主義、 そして、安価/高価などの価値観に目を奪われている昨今の建築に、”時や場”を越えて警鐘を鳴らし、 使いづらさや不便はあっても、肉体的欲求や世間の常識/評価などに惑わされずに、常識という物差しでは量れないものや決め事などのない”空間”の重要性を私達に伝えているように思えます。 シュタイナーは、そのような”空間”に浸ることによって、より精神性が高められると考えたのではないでしょうか?   ・・・・ シュタイナー建築をこのように考えると、凡人の私にも理解できます。
また、シュタイナーの設計した建物は、ディテールの角度に特徴があり、自然からの恵みとしての”線”を表現しているのかもしれません。  まるで、彼の心の中を覗いているような造形になっています。

第二ゲーテアヌムは、コンクリート/鉄/ガラスなど、当時の最新科学技術≪モダニズム建築(最新工業製品/最新科学技術による近代建築)≫を用いながらも、 平面構成や表現は過去の様式 ・ 古きシキタリ(宗教的)を継承しているように思え、 大凡・ 同時代の オギュスト・ペレ > ワルター・グロピウス > ミース・ファン・デル・ローエ > ル・コルビュジェ > フランク・ロイド・ライト > アルバー・アアルト等のモダニズム建築の潮流とは異なる世界を作っているように感じます。
私は、どちらかと言うと表現主義のブルーノ・タウトやハンス・シャロン或いは部分的な造形からはアントニ・ガウディ等の表現に近いものを感じますが、シュタイナーは、 私たちが思考する近代建築世界の潮流や思想・空間論/技術論とは異なり、独自に精神科学の世界の建築論を組み立て、空間・形状を表現したのではないでしょうか?  それに、当時の最新科学技術を巧みに利用したコンクリートの大胆な使用方法・構造及び技術や光の取り入れ方等など、ル・コルビュジェ以前(マルセイユ・ロンシャン)の建築としては特出すべきものではないかと思います。

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”建築”を考える!ですが、自身の思想を基に、環境から空間・形状を導き出してくるのですが、社会の状況やハヤリにも影響されます。
良い悪いは別にして、現在!に合わないものは、古臭いデザインとされ良しとはされません。 衣服のデザインみたいなものです!ので、ハヤリ・スタリや戻りもあります。 そして、現在はコンピューターを駆使したデザイン・考え方が主流になり、私の考え方も時代についていけない”古臭い”という括りに入ります。
私見になりますが、シュタイナーは、既存(世間)のそんな縛りには、収まりたくないと思っていたのではないでしょうか?
・・・・・ ”シュタイナー建築 ”= 「近代建築の文脈・枠には収まりきれない建築!」
私が考えるところの”建築”は、そうあるべきだと思っています。

なお且つ、”シュタイナー建築 ” ≫ 何かが心に残る!
シュタイナーの感性や心の衝動が型になったような造形!
作者の”思想、生き方の具現化”! ダイナミックな空間構成!
時代や良い悪い/好き嫌いという括りではなく、心(霊性)の囁きのままに生まれた造形!
・・・・・ 妥協のない創作行為や造形!


☆ ☆ ☆ ☆

”シュタイナー建築 ” ≫ 何かが心に残る。------- その探究!

ルドルフ・シュタイナー/蔦 A.A.fromnow/マーク ルドルフ・シュタイナー/蔦
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Rudolf Steiner's Architecture



------ ”建築を考える” ------




Rudolf Steiner

ルドルフ シュタイナー :  『 エーテル体とは、物質体の至るところに浸透している人間の本質の第二の構成部分を意味します。 言うなれば、物質体の一種の「建築家」のように見なす事が出来る。 』 と、シュタイナーは述べています。
神秘学的にいうと、体的なものが三つの構成部分・「物質体」「エーテル体」「アストラル体」から成り立っていますが、 その構成物質の「エーテル体」的なものが”建築家”とも言い換えられます。・・・・ 余計に解らなくなりました?

人間の場合、エ一テル体は物質体(der physische Leib)に生命を与えているだけでなく形も与え、記憶力やリズム性・習慣性なども担っているとされます。 エ一テル体は超感覚的な観察によると、輪郭は物質体とほぼ同じであるが、内部はリズムをもって流れる流動体と考えています。
芸術的感動や宗教的畏敬の念は、このエ一テル体に良い影響を及ぼすといいます。 シュタイナーは、体とその源であるエ一テル界を構成している素材は、我々が何かを想像する時に浮ぶイメージに、生命を吹き込んだようなものとも考えました。 それが前述の ”物質体の一種の「建築家」のように見なす事が出来る” という事に繋がります。



≪ シュタイナーからのメッセージ?・・・ それとも偶然? ≫

ガウディ・聖家族教会平面図 シュタイナー建築/第一ゲーテアヌム平面図
シュタイナー建築/第二ゲーテアヌム平面図
ゲーテアヌムの平面図
第一ゲーテアヌムと第二ゲーテアヌムの平面の十字形!
これは当時のキリスト教会建築の特徴的な平面形態です。
もしも、意図的にシュタイナーが、このような平面形を作ったとしたならば、彼のメッセージが隠れているのかも知れません。


参考に、ガウディのサグラダ・ファミリア(教会建築)の平面図を添付します。 例外もありますが、一般的なキリスト教会建築(特にカソリック系)は、外観はどんなに複雑でも、このように単純な十字形の平面形態(クロスプラン)を基本にしています。


《 参考 》

宗教建築の設計を多く手がけ、東京渋谷のワタリウム美術館を設計した
スイス人建築家 / マリオ・ボッタ氏(1943年4月〜)の言葉

【 宗教的な建築物にたいして 】

人間には霊性への欲求がある。ユダヤ教にせよ、キリスト教、イスラム教にせよ、礼拝の場はこの欲求を解釈する為のパラダイムである。
我々の生が持つ集団的価値に形を与え、人々に認知され、共有されているシンボル的な意志を、光と空間の適切な造形を通じて表現するための場なのだ。
又、信仰心については、そこには特に意識していない。銀行家でない私が銀行も設計してきました。
こう言ってはなんだが、私の知る限り、最も醜い教会を設計したのは、極めて信心深い建築家たちだ。



≪参考≫ シュタイナーと同時代の建築家で類似的に評される Antoni Gaudi について

ルドルフ・シュタイナー/蔦 A.A.fromnow/マーク ルドルフ・シュタイナー/蔦
Antoni Gaudi
Antoni Gaudi
1852-6/25----1962-6/10
Rudolf Steiner
1861-2/27----1925-3/30

シュタイナーの建築研究者:上松佑二氏/シュタイナ−の「私の人智学への道」によると
「シュタイナーが、このようにし意識してあえて【デゥルデックの家】を建てていたことには驚かざるをえないが、そのプロテストは、 アントニオ・ガウディがその最高傑作 【カサ・ミラ】(1910)をやはり「プロテスト」として建てていたことに一致するのである。 優れたガウディ研究者ジョ−ジ・R・コリンズによれば、ガウディの本棚には、シュタイナ−編纂の「ゲ−テ自然科学論文集」があり、ガウディの友人マラガ−ルはこれをすでにカタロニア語(スペインの地方語)に翻訳していたという。
ガウディが、只単なる異端の建築を建てようとしたのではなく、その建築思想や思いの底には、シュタイナ−の思想が、脈々と息づいていた事を知ったからでした。 思えば、20世紀始めより花開いた近代建築の種子は、シュタイナ−によって西欧各地に蒔かれ、芽を出し、 異端とも見えようとも、解る者が見れば解る総合芸術の華を見事に咲かせる事になったのでした。 ・・・・と述べられています。


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建築史家「鈴木博之」氏は、雑誌「新建築」の連載「20世紀を決めた住宅」の中でガウディの造形の事を下記のように書いています。
ガウディの造形は、構造的必然性とか機能的必然性からだけで出来上がっているものではないと、私は思う。 ガウディの造形を、あまり何かからの必然的帰結として説明しすぎない方がよいと、私は思う。
ならば、ガウディの造形はなんなのか?
当然のことながら、それは必然性を超えた「表現」であると思う。
「懸垂線(カテナリ)や放物線の構造にしたら、こういう形になってしまいました。」
「風の抵抗を最小にしようと思ったら、こんな形が出来ました。」
そんなことの積み重ねでガウディの造形ができているとは、とても私には思えない。 ガウディはあくまでも彼の建築によって、何かを「表現」したかったはずだ。 そんなことは当たり前だとお思いになるでしょうが、以外に「ガウディ論」で、こういうのは少ないのです。
問題は、彼が何を「表現」したかった、だ。 ここから先は推論と言う事になるのだが、私はそれは、「都市性」と言うものではなかったかと考えている。
それというのも、ごく短時期にガウディの建築を駆け回ると言う体験をしてみたとき、バルセロナの街のなかにガウディの都市住宅が、意外に静かに嵌り込んでいることに気づいたからだった。 クローズアップすれば異型のものたちに満ちた建物も、遠くから見れば現代のバルセロナの街に嵌り込んでいる。 それは、ガウディの建築がおとなしいものだからというよりも、都市とは何でも飲み込んでしまうものだからのように思われる。
「あらゆる矛盾をその腹中の収めてしまう現代の大都市」などと形容される近代都市の姿は、その表現においては最も旺盛な雑食性を示す。
【カサ・ミラ】という集合住宅は、ぺドレラ(石切り場)と呼ばれ、狂人の作ったものだと言われたというが、形式としては角地に建つパリのアパルトマンのようなものであり、異常なところはない。
【カサ・ミラ】は、本来はその上に巨大な聖母マリア像と二人の天使からなる彫刻群がのせられる予定だったという説もあるようだが、E・カサネレスによれば、 「この群像は屋根裏部屋の上端の線からはみ出すことなく、 グラシア通りとプロベンサ通りの緩くカーブした角」の上に立つように計画されていたという。
私が、ガウディの建物から受けた印象は、それが以外にというか、当たり前のことだと言うべきか、 いずれにしてもきわめて建築的なものだったということである。
抽象彫刻のように見える部分があっても、全体は極めてきちんとした骨格に収まっている。 彼はその細部に、そして骨格の微妙なゆらめきのうちに、彼の目に緩やかに浮かんだバルセロナの「都市」を込めたのではなかったか。



シュタイナーやガウディの建築を日本に紹介したのが建築家/今井兼次氏です

(fromnow資料)今井兼次氏

シュタイナー建築やガウディ/スウェーデンの建築家ラグナール・エストベリー(ストックホルム市庁舎/1923 )を日本にいち早く紹介した事で有名なのは、「今井兼次氏」で、早稲田大学で教鞭をとった。   桃華楽堂(皇居内のため入館困難!)/ 碌山美術館(安曇野市)/ 多摩美術大学校舎(現存しない)等を設計し、 日本二十六聖人殉教記念館(長崎)はガウディのデザインパーツを、九州の大隈記念館はシュタイナーの第二ゲーテアヌムのデザインパーツを取り入れて設計している。
(fromnow資料)今井兼次氏設計の大隈記念館

大隈記念館




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A . A . fromnow Human Report- Rudolf Steiner
筆者の独り言コーナー(私的世界)- NO1

------ ”建築を考える” ------


☆  ☆
【 住宅/家を建てる! 】


現在では、究極の物質的欲求の一ツかもしれません?
物質的欲求に伴う行為は、気が付かないうちに、人間を間違えた方向に歩ませることがあります。
暑さや寒さを遮断する技術や巷で言うところの「エコ・エコ住宅」や「自然素材」・「地球に優しい」・「オーガニック」などと言う、心地よい言葉が氾濫していますが、一番地球に優しいのは、
・・・・・・・ 文明を後退させること
・・・・・・・ 経済を繁栄させないこと
・・・・・・・ 人間(人口)が少なくなること
・・・・・・・ そして、住宅/建物等を建てないことです。
建てても、モンゴールのゲル(パオ)みたいのは許される。
それが無理な場合は、 ・・・・・・・ 
暑さや寒さに対しても我慢が必要ではないでしょうか?  不便も楽しんだらどうでしょうか?
最近! エコだ、自然だと騒がしいですが、夏は暑い! 冬は寒い! そして、夜は闇なのです!
・・・・・・・ それが自然です。
私の場合には、無防備に森の中を散策すればウルシで被れます!
知識のない人が自然に生えているものを食べれば下痢や酷い場合には命を落します!
自然は、軟な人間を受けつけません。 ・・・・・・・ 厳しいのです、自然は!



現在の社会的な自然回帰への思考は、このままでは人間が快適に住める、喰える場所が無くなるという、人間中心主義の上に起こっている現象ではないでしょうか?  現在の人間は、本来の自然を受け入れずに拒否しているのですが、レトリックで誤魔化しているのではないでしょうか?
私には、”人間も自然の一部”と言う考えではなく、無意識的に”自然の上に人間は存在する”という驕りを感じてしまうのですが、・・・・・ 私の思考経路が歪んでいるのでしょうか?

欧米のルネッサンス以降の人間中心主義!
モノの良し悪しや、思考、何でもかんでもが人間中心の世界!
その為に食い尽くしてきた自然! 
それをレトリックで誤魔化しているのではないでしょうか。 
・・・・・ 日本には異なる文化や考え方があった筈だが?


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諏訪湖の畔をドライブしていたら、”無添加住宅”の○×建設という看板と、住宅建設現場のシートに”無添加住宅”と大きく書かれた文字が気になりました。

レトリック(rhetoric) / ”地球”に優しいではなく、”人間”が困るだけ!(ある意味での”人間のエゴ”!)
・・・・・ 人間が何をしようが・しまいが、”地球”は間違いなく人類よりもしたたかに存在し続けます。





人間の飽くなき快適さへの追求! / 飽くなき欲求!

【 外は零下・雪景色を見ながら、結露もなく・ポッカポカの室内でキンキンに冷えたビールを飲む。 】

実に楽しそうである。
・・・・・ 何らかのブレーキがないと、留まることを知らない人間の欲求!
それを「地球に優しい」・「エコ」などと論理展開するのは人間の驕りだと思います。
表面的な言葉が氾濫する現在、シュタイナー建築を見ながら、”草庵を建てた利休”の言葉を噛み締めるのも一考ではないでしょうか? ・・・・ 『 [真]を知り[行・草]に至れば、・・・・・・・・ その本性(質)は、たがわぬ。』 / 利休



【 建物と病気 】

一応、建物の素材の問題を研究(下記リポート)した上での思いですが、 文明の進み方や人間の驕りが、社会の”ゆがみ”として発生しているように感じます。  この”ゆがみ”は、現在の人間生活の一部やその障りの部分だけを修正しても、凹みが何処かに移動して新たな所が出っ張るだけのような気がしています。 この”ゆがみ”を無くすには、根本的に文明のあり方や人間の生き方を考え、進路を変えない限り解決する事はできないのではないでしょうか?
興味のある方は、以前に”建物と病気”という研究リポートを作成しましたので下記の黄文字をクリックしてみて下さい。

文字クリック

≪Report≫ 建物と病気 - シックハウス リポート


☆ ☆ ☆

【 病んでいる社会 】

忘れつつある出来事の一つ! 
過去になりつつある、姉歯氏構造計算書偽装・偽造事件について思うこと!
話題騒然の時、私共の事務所にFAXが届きました。
TBSテレビ局の「イブニングニュース」のアンケートのFAXです。

この続きは、下記の黄文字≪Report≫をクリックしてみて下さい。


文字クリック
≪Report≫ - 病んでいるマスコミと社会/建築構造計算書偽造問題






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PRIVATE

A . A . fromnow Human Report- Rudolf Steiner

筆者の独り言コーナー(私的世界)- NO2


------ ”建築を考える 最終項” ------




【 筆者の愚作紹介 】



A . A . fromnow Human Report - Rudolf Steiner's Architecture



私が創りたかったのは、一条の光が差し込む空間!
光は、浅ましい欲望や怨恨に染まった人間が見る戒めのモノではないかと思っています。 
一瞬ですが、そのモノが差し込む空間を夢想していました。



この世に差し込む戒めの光を具現化したい!
そう思いながら創っていました。


A .A .fromnow * Do-seki


《 筆者設計+設計監理作品(愚作) 》




Architecture's Works




思想と造形


☆    ☆

建築 : 一つの役目は、光や大気を掴みとり、人間の感性事象に変える



ハイサイドライト
【長野】
自然科学 ・ >>>>>>>> -------- ”光”
味気ない話しですが、これも一つの思惟/側面 .
太陽の表面
太陽のような恒星の成分の大半が宇宙で最も簡単な元素・水素の塊で、 その水素が次に簡単な元素のヘリウムに移り変わる時に膨大なエネルギー(”光”や熱)を出します。
手の込んだプロセスを除き簡単に説明しますと、 水素の原子核4っが集まって、ヘリウムの原子核1っができ、水素からヘリウムの原子核が出来ます。 これは太陽のような1000万度〜2000万度といった高温の場所で始めて可能な現象なのです。 この現象が起こった時に、元の水素に比べて、出来上がったヘリウムのほうが ”0.7%” 質量が少なくなっています。  たった0.7%の移行・差異が、あの物凄いエネルギーに変わり、”光”や熱を出し続けています。
・・・・・ これが自然/宇宙での核融合反応です!

ガンジス河の夜明け
- 合掌する人々 -


思想と造形! 何を感じるものなのか?
建築! 愚作の完成写真と平面図・模型・3D-CG・スケッチを感性で見てみる!



筆者設計建物《光》ハイサイドライト
【東京】

【淡路】
【岐阜】
【兵庫】 【愛知】 【岐阜】
【長野】 【岐阜】 【東京】
【東京】 【山梨】 【東京】
筆者設計建物《光》トップライト
【長野】 【岐阜】 【東京】
【愛知】 【東京】 【長野】
【AW-Site Plan】 【東京/岐阜】 【GR-Site Plan】

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ルドルフ・シュタイナー/蔦 A.A.fromnow/マーク ルドルフ・シュタイナー/蔦

- 建物ができるまでの試行錯誤 -
思考と造形確認 / 平面計画・模型と3D-CG・スケッチで建築を考える(読む)




”平面計画で建築を読む”




Rudolf Steiner



筆者設計建築平面図 No1

ビジネス&デザイン専門学校
冨広美術館計画配置/平面図


邑楽町役場・議場・公会堂計画平面図


筆者設計建築平面図 No2

■ 平面図と模型から完成建物(実物)への流れ ■


AW - RESORT

ホテル・ゴルフクラブハウス・レストラン・プール・ショッピングセンター・会議場
基本設計完了時最終検討石膏模型 設計〜竣工/約4.5年 完成直前の写真(竣工1ヶ月前)


”模型で建築を読む”


Rudolf Steiner



建築を”模型”で考える

博物館+100M タワーと広場計画

 
  博物館は地下・地上は芝山公園

東北歴史民族博物館 荻須高徳記念美術館 富弘美術館
設計競技応募案 設計競技応募案 国際設計競技応募案
沖縄・名護市庁舎 複合ビル・東京 スカイレストラン
設計競技応募案 計画案 設計競技応募案
東海スポーツセンター ドライブインレストラン 鹿児島会館
計画案 設計競技入選案 計画案


”3D-CGで建築を読む”
≪ 検討から完成 / 4例 - その他CG のみ4例 = 計8例 ≫


Rudolf Steiner



1-ビジネス専門学校
(設計段階検討CG-1)
2-デザイン専門学校/室内
(設計段階検討CG-2)
3-事務所建築
(設計段階検討CG-3)

完成

完成

完成


”3D-CGで建築を読む”
4-A住宅入口ホール
(設計段階検討CG-4)
5-邑楽町役場計画 6-B住宅
▼ 上記A住宅完成写真 7-C住宅玄関見上げ 8-ホテル/ホール



【 ▼絵をクリック:拡大写真 】
美術館計画案 美術館「糸車計画」
大小のドラム缶を二つ並べておいた様な形態の建物で、コールテン鋼で組み立てられた二つのチューブの間の空間には木製ルーバで屋根を覆った広場としました。  計画倒れの建物で、実施には至りませんでしたが、私の設計の仕事としては最後の企画設計になりました。 この建物は、地震には完璧に強く、且つ、移動・組み立て・解体も簡単です。 そして、美術館だけでなく図書館やコミュニティ、小さくすれば住宅にも応用できます。
尚、立面図の姿が糸車に似ていたもので、自分では「糸車計画」と読んでいます。

”スケッチで建築を読む”


Rudolf Steiner



私立学校本部棟+講堂 軽鉄企業研究所
山荘(別荘) / 現場スケッチ リゾートホテル / 現場スケッチ

スケッチと言えば、 ・・・・・・・・・
若かりし頃(十代)の私は、資本主義社会や物質主義の価値観に疑問と言うか嫌気がさしていましたので、経済的論理からはみでた生き方として、 放浪でもしながら”純粋芸術”分野で喰っていけたらと安易に考え、何ものにも拘束されない浮き草的な”絵描き”になりたいと思っていました。 ・・・ 誰もが通過した”青春の夢物語の世界”です。
ボヘミアン / 山下清さんや柴又の寅さんみたいに生きられたらと思っていました。
ノ〜天気な若かりし私は、旅をしながら、好きな絵を好き勝手に描いて喰っていけると思っていたのです。
しかし、ゴッホの生家を尋ね、その生涯を知る事によって、日和見な私は、この世界では、とても・とても喰っていけない!  生きていけないと判断し、”中間芸術”的な建築設計に足を踏み入れることになりました。
その未練からか、絵筆を数十年も持ったこともないのに、旅するごとに、その場にある鉛筆・ボールペン・万年筆や子供用の五色水彩絵の具で、 若かりし頃の思い出的に似顔絵(街頭での商売)やスケッチ描きを試みてきました。  そのクダラン爪痕を数枚だけ添付してみました。


下記の筆ペンで描いたシュタイナー似顔絵(一筆描き)をクリックして下さい。
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人生とは、 皮肉なモンです! ・・・・・・・・・
資本主義社会や物質主義の価値観、権威的呼称や上下関係・身分関係呼称で呼ぶこと/呼ばれることを嫌っていた人間が、その渦中で人生を送ることになってしまいました。 ・・・・・・ 振り返ると、反省しきりです!

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建築設計論 / 「 空間・時間・人間 - 間 」


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A.A.fromnow Human Report - Rudolf Steiner's Architecture

Steiner's Architecture / No1

物質的なものを精神的なものに感じる旅など

Steiner's Architecture / No2

シュタイナー建築:ゲーテアヌム写真/図面

Steiner's Architecture / No3 上記

A.A.fromnow Human Report - Rudolf Steiner Steiner's Architecture No3
シュタイナー建築・造形-NO1 / ルドルフ・シュタイナーの建築と造形:TOPに戻る ≪≪≪  Back to Steiner's.Architecture - No2  


2002 India / Haridwar Do-seki (道石)
”魂(心)の年代”を向かえてから、住む場の違いを強く感じ、建築設計の仕事を続けるか否かを考えてしまった。
その答えを出す為に、彷徨い・行き着いたインド。

出た答えは、「若かりし頃の夢 : ボヘミアン的な生き方」
その時から設計の仕事を止め、彷徨い旅を続けています。

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ルドルフ・シュタイナー
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