A.A.fromnow Human Report - Rudolf Steiner Prologue NO5 ( Finish )
シュタイナー(顔イラスト) Prologue NO5 ( Finish )

≪ 善と悪 ≫
シュタイナー(顔イラスト)

人間の行為には、なぜ”善”のみでなく”悪”が伴なうのか
≪ 戦争/紛争・独裁・難民・拷問・殺人・貧困・格差・差別 ≫



”人間”とは?

" IN THE NATURE OF A PHILOSOPHY "

人を踏みつけ、生首を手にするヒンドゥ教の神/インドの街中にて撮影 ”人間”とは何なのか?

 ・・・・・・・・・  実際の出来事・事例で考えてみましょう。

アウシュビッツ収容所で奇跡的に生き残ったユダヤ人女性が、今はドイツでドイツ人の病気の子供たちの為に、看護士として働いているということです。 当然・そこまでに至る、”彼女の「私」”としての葛藤はものすごかったらしい!
その彼女が、最後に行き着いた答えは、 「 人間 ・ 誰の心の中にも、必ず ”ヒトラー” が住んでいる。  それとともに 必ず ”マザー・テレサ” も住んでいる。 」 ということです。
※ ”我(私)”とは何なのか?
誰しもが、一つ間違えば”ヒトラー”だったかもしれないし、”マザー・テレサ”になったかもしれない。   もしかしたら、サリンを撒いていたかも知れないのです !?
尚、人間の歴史には、愚かさや耳目を塞ぎたくなるような出来事は、アウシュビッツだけではありません。   例えば、中世のヨーロッパに横行した”魔女狩り”での群集による拷問殺人!や15世紀にハンガリーで起こった、貴族の娘”エリゼベット・バトルイと四人の女召使による、 人間の出来る事だろうかと思える位に恐ろしい二百数十名にも及ぶ若い娘の拷問・虐待そして殺人!(裁判記録が残っています。) 等など挙げればキリがないほど沢山あります。
アメリカの心理学者スティーブン・ピンカー(Steven Arthur Pinker, 1954年9月18日カナダ〜 )は、 自分を苦しめたと考える社会に復習する為に、大量殺人や大量虐待を行う心を「アモク・シンドローム」となずけています。 恐い事ですが、彼によると、これは、特別/特殊な人に起こる現象ではないという。   ピンカーは、「アモク・シンドローム」は人間の脳が複雑になった産物で、”現在の人間”の”脳の機能”の一つと考えている。  因みに、” アモク ” とは、マレー語で自尊心を傷つけられ錯乱し、殺人や騒ぎを起こす事を言います。 / 彼の著書には「心の仕組み」などがあります。



☆善と悪 ☆

特集の作成/公開の切っ掛けにもなったオウム真理教事件で考えてみる!


ルドルフ・シュタイナー Rudolf Steiner

抜粋 ”人間の進化” - ”人間の本質”
多くの人間の魂が高次の進化に達する一方で、悪の方向へ向かう別の人間の魂たちも現れるだろう。
又、進化に遅れたその魂たちは、そのカルマに多くの誤謬や醜さや悪を積み重ねてきた結果、さしあたり、善なる人間の共同体に激しく対抗する、悪と迷妄に陥った者たちからなるなる、特別な集団を作るであろう。

・・・・・・・・・ ”人間”とは何なのか?


”善” インド・ブッダガヤ/釈迦仏塔・万年筆スケッチ  ”悪”

インド/リシュケシュにて
study



☆ オウム真理教事件からの探求 ☆
インド/リシュケシュにて

作家・村上春樹氏が書いた「約束された場所で(救いを求めて旅だった若者たちはなぜこんな所に辿り着いてしまったか?)」に登場する過去に「サリン」を撒いたオウム真理教の元信者や現信者が述べている中で気になる言葉が幾つか出てきましたので、そのことについて書かせて頂きます。

私の個人的な解釈になりますが、気になる言葉とは 「来世」「前世」「輪廻転生」「死後の世界」「カルマ」「アストラル」「超能力」「予知」「イニシエーション」「幽体離脱」「霊」「神秘体験」「終末論」「救済」「不殺生」「自由」等などで、精神科学・神秘主義・各種宗教などでも使われる言葉でもあります。  私には、これらの言葉の背後(似非)には途轍もない ”妖神” が潜んでいるように思えてなりません。   善悪の「善(もどき)」にもこの”妖神”は潜み、時々悪さをするようなんですが、人には”善”としてしか見えないから分からないように思えます。  この”妖神”は、”人の心”に寄生し、変異・増殖を繰り返しながら”人の心”を蝕み、人を思いもかけない所へと突き進ませます。  オウム真理教・サリン事件に限らず、同じようなことが世界中で起きています。   更に、教祖の社会性を無視したような風貌・神秘性!/ 喋り方、そしてパフォーマンスや作為的なカリスマ性!  反社会的で現社会の矛盾を突いたような生き方! 等々
まさに、時代の隙間に生息していた”妖神”ソノモノに人々は吸いよせられたのではないか。

しかし、この”妖神”は、”オウム真理教”などの身体が滅亡すると、他の身体に飛び移り、寄生・増殖を繰り返し、生き残ります! そして、人々が忘れた頃に再度、騒ぎを起こします。   ・・・・・・・ 私も、いや誰でもが感染する可能性があるのです!



《参考》
私的解釈

ゲーテアヌム/ステンドグラス:アーリマンとルツィフェル
この”妖神”の類(力)を、・・・・・・
シュタイナーは、
ルツィフェル/ルツィファー
(Luzi-fer)と名づけました。


シュタイナーは、人間を惑わす二ッの力を想定し、一ッの力を人の心から潤いをなくし、血の通わない冷淡な考え方や、生命が感じられない生活環境を作り出すものとし、 もう一ッの力は、人を陶酔させ、血を沸き立たせるものとなると考えました。
シュタイナーは、一方の力を、心の暖かみを奪い、気持のふくらみを押しつぶしていく、機械的な働きや考え方の背後にある力をアーリマン(Ahriman)と名づけました。
更に、人は夢中になるあまり我を忘れて、ふだんなら見えていることが目に入らなくなることがある。
このような陶酔や熱中の背後にもシュタイナーには、もう一ッの力が見え、それをルツィフェル/ルツィファー(Luzi-fer)と名づけました。
アーリマンは、人間を味気なく、散文的かつ通俗的な者にし、血肉を失わしめ、唯物主義の迷信に導く力のことだと考え、 これに対しルツィフェル/ルツィファーは、人間の内にあらゆる熱狂的な興奮や誤った神秘主義的傾向を呼び起こし、 人間を舞い上らせようとしたり、人間の血を生理学的に沸き立たせ、無我夢中にさせようとしたりするものすべてに働いている力のことだと考えました。
ルツィフェル/ルツィファーが、人間の感情に働きかける力であるとすると、アーリマンは、人間の思考に働きかけて、そこから生命を奪いとり、効率や分類だげにたずさわるようにさせる力のことのようです。
そのようなことから、シュタイナーは、ルツィフェル/ルツィファーを昼(光)の魔と述べ、アーリマンを夜(闇)の魔とも述べています。

ルドルフ・シュタイナー 善と悪

かつて人間の内に動物性が混在していたように、現在、善と悪、あるいは、真と偽りという、相対立する二つのものが混在しています。 この対立矛盾、すなわち、二つの要素がみずからの内で混在する仕方によって人間のカルマ、運命が形造られています。 そして、いつの日か人間は、悪を客体として捨て去ることでしょう。 こうした事柄を我々はすべて黙示録的な記述のうちに見出すのです。 ・・・・・・・・・・ 以下略
Rudolf Steiner


善と悪
Friedrich Wilhelm Nietzsche

何が善であり何が悪であるのか、人間としての倫理とはどういうものなのか、という定義は、その時代によって正反対になるほど異なっている。
古代にあっては、伝統のしきたりや慣習から外れた自由なふるまいをすることを非行とみなされた。 また、個人として行動すること、身分を越えた平等、予測がつかないこと、慣れていないこと、見通しの立たないことまでもが悪であった。 古代人から見れば、現代ではまったく普通とされている行動や考えの多くが悪なのだ。



☆ ☆ ☆

オウム真理教の事件について作家・村上春樹氏/心理学者・河合隼雄氏が述べていることや加害者・林郁夫氏等の述べていることを記載して検証を進めたいと思います。
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地下鉄でサリンを撒いた人たちは、実直で物事を真面目に考え・社会の歪みを何とかしたいと思っていた人達のようなのだが、何故に・あのようになってしまうのか?
それを 解く鍵として、書籍の巻末の 「著者・村上春樹氏と河合隼雄氏の対談」 で 「善と悪」について述べています。

河合隼雄氏 / 善悪を二つに割ってしまって、これは善、これは悪というのは、へたをすると危険な事になります。 善が悪を駆逐するというか、そうすると善は何をしてもかまわないということになってしまいます。 それが一番怖い事です。 オウム真理教の人だって自分たちは善だと思うから、あんな無茶苦茶なことをやったわけですよね。 ついつい悪い事をした・・・・・・・というのとは違います。
これは昔から言われている事だけど、悪のための殺人って非常にニーズが少ないです。 それに比べると善のための殺人というのはものすごく多い。戦争なんかそうです。 だから、「善」が張りきりだすとすごく恐ろしい。 でもだからと言って「悪がいいです」なんて言えませんから、すごく困るんです。

村上春樹氏 / 僕が感じたのもそれです。 地下鉄サリン事件、オウム真理教事件、というのがなかなかうまく捉えきれないのは、結局のところ「何が悪いのか」という定義がしづらいからなんです。 サリンを撒いて多くの人を殺したという行為一点に絞って言えば、これはもちろん悪です。 議論の余地は無い。 ところが、オウム真理教の教義をたどって解析していくと、それはあるいは絶対的な悪ではないかもしれないという筋道が出てきます。 あくまで解釈の問題じゃないかと。その乖離みたいなのがあるんです。 その乖離について追求していく事も、もちろん魅力的なアクセスではあるんだけれど、そっちから行っちゃうのはやはり危険なんじゃないかという気がします。 この事件を解いていくには、結局もっと地面に近いところにイ集している「本能的なコモンセンス」みたいなものが大きな力を持って行くんじゃないかと思うんです。
僕はオウム真理教の事件にしても神戸の少年Aの事件にしても、社会がそれに対して見せたある種の怒りの中に、なにか異常なものを感じないわけにはいかないんです。 人間は自分というシステムの中に常に「悪の部分」を抱えて生きているわけですよね。・・・・・



ユングも述べている。
「疑いもなく、つねに人間の中に棲んでいる悪は、量りしれない巨魁なのだ。」


サリンを撒いた加害者の一人・林郁夫氏は著書「オウムと私」の中で述べている。
「麻原は説法で、シャンバラ化計画について語っていました。ロータス・ヴィレッジを建設という事でした。 そこにはアストラル・ホスピタルという病院があり、真理学園という一貫教育の学校もあるということでしたが(中略)。 医療は麻原が瞑想で異次元(アストラル)や過去生の記憶から導入したというアストラル医療なるものを駆使し、病人のカルマやエネルギー状態をみて、死や転生も考慮に入れたものということでした。 (中略)私は緑の多い自然の中に転々と存在する建物群で心を込めた医療や教育をするという、その頃夢想していた病院や学校の姿とロータス・ヴィレッジを重ね合わせていました。」

「この林郁夫氏に向かって語るべきことは、本来とても簡単な事であるはずなのだ。」 と、 注釈を入れて村上春樹氏は述べている。
「現実というものは、もともと混乱や矛盾を含んで成立しているものであるのだし、混乱や矛盾を排除してしまえば、それはもはや現実ではない。 そして、一見整合的に見える言葉や論理に従って、うまく現実の一部を排除できたと思っても、その排除された現実は、必ずどこかで待ち伏せしてあなたに復習する事でしょう。」との言に対し、林医師はそのような説得ではおそらく納得しなかっただろう。 彼は専門的な言葉とマニュアル化されたロジックを連ねて鋭く反論し、自分の進もうとしている道がどれだけ正しく美しいものであるかを滔々と説いたであろう。

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参考までに、オーム真理教の出家信者/現在もオーム真理教の数人の仲間と生活している現役信者(稲葉光治氏/元小学校教師で1956年生まれ)と村上春樹氏の対話(書籍:underground 2-”約束された場所で”)の一部を記載します。

村上氏 : 僕が知りたいのは、オーム真理教という宗教の教義の中で、自己というのがどのように位置づけられているかということです。  修行の中でいったいどこまでをグルに預け、どこまでを個人が管理するのか? 話をうかがっていても、そのへんがよく見えてこないんです。
稲葉氏 : 自己というものが、何事からも干渉されずにそれ独自で成立するということは、実際にはありえません。  それは色々な環境の影響下にあるわけです。 
あるいは経験や特定の思考パターンの影響下に、となるとどこまでが純粋な自己なのかということは、わからなくなってきます。
仏教では自分で自己だと思っているものは、本当の自己ではないのだと、自覚するするところから始ります。  いわゆる、「マインド・コントロール」から一番遠いのが仏教なんです。  ソクラテスの「無知の知」にも近いかも!

村上氏 : 自己というものは表層的な部分と、その奥にある無意識的なもの、ブラックボックスみたいな部分と分かれていると言う言い方も出来ると思うんです。  そしてある種の人々はそのブラックボックスを開く事を、真理探究のための一つの使命とする。  あなたが言う”アストラル”みたいなものに近いかもしれないですが!
稲葉氏 : だからそれを知る為に瞑想修行というものがあって、自分の中で一番深い部分に近づいて行くわけです。  仏教的な観点から言いますと、潜在意識の奥には、個々人の本質的な歪みみたいなものがあります。 それをなおしていきます。

・・・・・ 以下略

この手の思想組織や宗教組織に入る 或いは、関心を持つ人々は、彼らの論理性が正しいかどうかは別にして、非常に論理的に物事を組み立て 且つ、みています。 そして、ある意味ではとてつもなく真面目なのです!  彼らは、現世の”穢れ”を嫌い、ある意味の真実/真理の世界・理想の世界を探し求めて歩んできた人たちなのです!  だから、理想郷に出逢えたと思っている世界では、教義や修行/修練の中に異物(タントラ・ヴァジラヤーナやキリストのイニシェーション)があっても信じ込んでしまうのです。
現世に理想郷があるかないかは、別の問題です。 しかし、彼らが求めているもの 或いは 厭世観は分かるような気がします! だから、最初に記した”学びの視座” を自覚して歩まなければなりません。・・・・ と、思っています。

祈る/india-varanasi-ganga 祈る/india-haridwar 祈る/india-varanasi-ganga
オウム真理教事件からの”善と悪”の探求
突き詰めると、”善と悪”の分岐点には、人間の”孤独”感が左右しているように思える。
人間の生きるベースは、孤独である事を認識する事が重要なのですが、孤独に耐えられない人々(全ての人)は、友(類)を求め集団を造る。

しかし、社会の中・集団の中で一人わが道を歩むのは、凄い孤独感・寂寥感や疎外感があり、耐えることはナカナカできるものではありません。 特に、精神的なことが絡むときの焦りや焦燥感から抜け出す事は、並大抵ではありません。
ですから、一般的には、個人の意見はなるべく抑えて集団に迎合し、集団と同じ事をやり、同じ勢いに乗ること・生きていくことを選んでしまいます。
その結果、同じ容姿・同じ顔つき・同じ方向を見る人ばかりの集団ができ、それに迎合することで経済的・精神的には安定するが、論理的異物も受け入れ、村八分的差別や殺人・戦争にも歩を進めてしまいます。
この時の弁明は、------ 「”私”は悪くない、”皆”が悪いのです。」

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いつの日か、人間が孤独に耐え、楽しみ/克服できるようになれば、”善と悪”の存在も薄れていくのではないか!/ 悪は消えさるしかないのではないか、と思うのです!
それが、ルドルフ シュタイナー曰く 「------ いつの日か人間は、悪を客体として捨て去ることでしょう。」に繋がるような気がします。


オウム真理教/地下鉄サリン犯は、今では真の”孤独”感を厭って言うほど味わっている事でしょう。------ しかし、この事件は辛い そして、悲しい!
オウム真理教/地下鉄サリン犯 そして、被害者に対して
今は、”祈る” ことしかできない!


あとがき


旅のスケッチ帳
クリック≫世界の街・スケッチ帳 私は、何を求めて ” 旅 ” に出たのだろうか?
・・・・・  どこへ 行こうとしていたのだろうか?
・・・・・  何を探し求めているのだろうか?

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India-Rishkesh / Sadhu

”青い鳥”はいるのだろうか? ・・・・・・・・・・・・

生きる!(生命を保つ)、その為に捨てきれない”欲(煩悩)”

人間の欲(煩悩)・・・・・・・・
世間から離れ、修行に明け暮れひっそりと生きている「Sadhu」! (右上写真)
彼らの生き方にも、功罪はあるとは思うが、あらゆる欲(煩悩)を断つ努力をしている彼等に会うと、心が洗われると共に感動を覚える。  そして、彼らを尊敬し、受け入れる社会的(宗教的)なシステムが存在することにも感動してしまう。

ガンガー(ガンジス河)上流の河川敷にいる彼らは、外見上の生活だけで見ると、日本でいう多摩川の河川敷にブルーシートを張って生活している方達と、何ら変わらないのです!
しかし、彼らは、宗教的なシステム(ヒンドゥーの四住期)に従い、「林住期や遊行期」に入ると、地位や財を捨て、精神的生活に入った人達だと聞きました。  そして、”死”を待ちながら、人生を省み、次の”生”のための精神の浄化をしながら煩悩と戦い・行/修行等を行って日々を過ごす。  日本でいうところの”千日回峰行”に近い荒行を行っている修行僧もいると聞く!  そのような彼らを、一般生活人(庶民)は、自分の代わりに煩悩と戦い・行/修行等を行ってくれていると考え、尊敬し・浄食(私の造語)/浄財をするようです。

( 註 ) 何処にでもこのような人はいると思いますが、 麻薬に溺れたり、自分を見世物(商売)にしている”サドゥー”がいたことも付け加えておきます。


☆  ☆

私がインドに興味をもち、再三訪れている理由も簡単に説明したいと思います。



インドが醸しだすカオス(混沌)にもありますが、そこに根付く思考と生き方/社会に興味をもちました。 
それは、存在する全ての真理は一つ(生命)にあるという、アーユス(生命)のヴェーダー(真理)/アーユルヴェーダーにあります。  生命は、動物や花・木などの植物に限らず鉱物や金属、その他のあらゆるモノにも宿っているという考え方で、私どもが造り上げた空間にも生命は宿っていて、 この世界は一つの意識、一つの生命からなるとしています。
そこで、彼らの考える”生命”或いは”生命を司るモノ”とは、なんぞや? と、言うことになります。
宇宙や生命の根源を”神”にする思想/宗教は多いが、ウパニシャッドではそのようなモノを、”現状の人間の心も心理も超えているモノで、 考えもできない、語ることなどさらにできないそのものは、プラクリティやプルシャなのだとしています。
我々を含む全ての存在(生命)は、見えもしないそのプラクリティ(根本原質)やプルシャ(純粋精神)によって包まれ、存在しているという考え方です。  ・・・・・ ようするに、精神科学的な思考と生き方/社会なのです。

・・・・・・  彼らの生き方/社会のベースにある”思考”を簡単に付加説明いたします。

宇宙や生命の根本原理としての基軸に「プルシャ(純粋精神)」と「プラクティ(根本原質)」があります。  そこから「マハーン(思惟機能)」が芽吹き、さらに「アハンカーラ(自我意識)」へと分岐し、三つの属性を生み出します。  一つは、「ラジャス(激性)」で、他は「タマス(鈍性)」と「サットバア(浄性)」です。  「ラジャス(激性)」は、自然界で動きをもたらすエネルギーで、「タマス(鈍性)」は、ラジャス(激性)のエネルギーにブレーキを掛ける動きをし、 「サットバア(浄性)」は、二つの力の均衡をとり、調和をもたらします。  ラジャス(激性)とタマス(鈍性)のぶつかりから、五つのエネルギー体「地/固体:抵抗(プリティヴィ)、水/液体:結合(アプ)、火/エネルギー(アグニ)、風/気体:運動(ヴァーユ)、空/エーテル(アカシャ)」に分離分類していく。  ラジャス(激性)とサットバア(浄性)からは、五つの感覚器官(聴覚、触覚、視覚、味覚、臭覚)と五つの行為器官(手、足、舌、排泄器官、生殖器官)に、その結合剤としての「マナス(意思)」の基から分離分類されています。
このように分離分類された自然界には、五つのエネルギー体、五つの感覚器官、五つの行為器官やマナス(意思)を制御する完全存在としての「アヴァター(神の化身)」が時として出現する。   そのアヴァター(神の化身)から宇宙の創世までを飲み込み、創始点にあるものがヴェーダー(真理)であり、この思考で生き方/社会を形成しているのが”彼の地”なのです。


ウパニシャッド/アーユルヴェーダでは、死後の事を「今の身体を去った後に、直ちにその人の知識と業と前世に関する記憶を伴って、微細な原理である心が執着しているところに赴き、その業の報いを得て、また再びかの世からこの世に行為をなす為に帰ってくる。」と述べています。 この繰り返しの後、欲望を捨て去った者は「心の臓に宿っている欲望が全て捨て去られると、死すべきものは(人間)は不死となり、この世でブラウマンに到達する。」
状態変異は、
第一位(普遍位=目覚めの「覚醒状態」)
第二位(光明位=夢見の「夢眠状態」)
第三位(智慧位=欲望も夢も感知しない「熟睡状態」)
第四位(言語表現を超越したアートマン/梵我一如)
以上のようになり、このような状態を踏んでから解脱していきます。
又、ウパニシャッドの一体観念は、魂と宇宙の普遍的な原理として、物理主義/合理主義を排したアメリカの超越主義思想の指導的思想家「ラルフ・ワルド・エマーソン【Ralph Waldo Emerson】-(1803年〜1882年)」 などにも影響を与えています。
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長くなってしまいますので、これくらいにしておきます。
興味のある方は、アーユルヴェーダーやウパニシャッド(中村元氏及び前田專学氏の書籍)などを読んでみて下さい。
但し、どのような学びにも、トップページに記載した”学びの視座”を、参考にすることをお勧めいたします。




ルドルフ・シュタイナー Steiner

インド人の叡智の書(ヴェーダ)に含まれている内容は、極めて古い時代に、偉大な教師達によって育まれた高次の叡智の本来の姿を伝えているのではなく、 そのかすかな余韻を伝えているに過ぎない。

* Rudolf Steiner *


ルドルフ・シュタイナー/蔦 A.A.fromnow/マーク ルドルフ・シュタイナー/蔦
A.A.fromnow Human Report - Rudolf Steiner

あとがき


私は50才のころに、ある出来事(病)を切っ掛けにして、生業としてきた建築の設計業務( ”R.Steiner-ARCHITECTURE”の巻末に愚作の一部を掲載してみました。)に見切りをつけ、 更に、ぬるま湯の人生観・生活観に楔をさすためにと、一年間身体や心を鍛えなおした後に、愛読書であったシュタイナー本をバックパックに入れてインドやチベット・パキスタン北部山岳地帯(アルカイーダ潜伏地のカイバラ峠付近)の紛争地に旅発っています。
-------- 今、この場にいるのが不思議なくらいに無謀な事をしてきました! 
全てが自己責任と認識/覚悟はしていましたが、今思えば無責任な事をしたと反省しています。

ある出来事(病)から〜”生きる”へ

一年おきに数回、このような彷徨を繰り返してきましたが、拉致監禁までのこの”体験/心持ち”を生きる原点にしようと考えるようになりました。




紛争地のムスリムの学び舎にて - 撮影 : 2000年10月/学び舎の指導者


パキスタンとの帰属問題で揉めている「India/Jammu-Kashmir州」のスリナガ−ルから更にジープで 3時間くらい奥に入った、パキスタンとの国境近くにある学び舎を、突然 異邦人が訪問した時の写真です。学び舎は銃撃の恐れがあるために窓がありません。
指導者は3人 / 学び手は40人位で、各指導者はそれぞれ機関銃を持参していました。
この写真に写っている子供達の中にも「ジャムー・カシミール解放戦線」の戦士になる子供もいるそうです! ・・・・ 紛争地の貧困に驚かされ、教育にも驚かされました。
A .A .fromnow * Do-seki (道石)


≪ 彷徨い旅の終着駅 ≫


シュタイナー特集なのに、仏教的な終着駅に着いてしまいました


仏陀の言葉 / ”人生は苦なり” の中での光明を求めての旅!
悩みや苦しみ、怨みや嫉みを忘れる一時を求めての彷徨い旅!


【終着駅】は、”空 / 無常” という名でした。
その終着駅の掲示板にあったメッセージです。

真理としては、何もかも無いのです。
”人間”も”私”も一つの論理では、存在していないのです。 
だから、悩みも苦しみもないのです。
築き上げた名声・名誉・地位・冨や財産などや執着しているもの、いや全てのもの! 
怨みや妬み・悩みや辛さ・苦しみ、迷いなどの全ては、真理としては無いモノなのです。
だから、貴方(私)とともに! 全ての人が平等に、全てのものが平等に消えていきます!
蜃気楼のように、無に戻ります!  -------- ”空 / 無常”!

------------------------

インドの聖地/バラナシのマニカルニカガート(火葬場)で、薪の上で焼かれる人の炎 そして、最後は河に流される灰を見つめていると、この世の”空 / 無常”!を実感せずにはいられません。
”灰”は、暫らくは川面に漂いますが、直ぐに河の中に沈み、流れと共に消えてなくなります。  
-------- 何もかもがなかったように! まさしく夢のように消え去ります!
焼かれた人も、この世での悩みや苦しみを味わってきたのだろうが、そんなものは跡形もなく消え去ります。  涙にかすんだ川面を見つめていると、私の悩みや辛さ・苦しみなども、最初から無かったのではと思えてきます!  -------- 全てが川面に消え、流されていくように感じます! 
”空 / 無常” 最初から何もかも無かったと、思わざるを得ない。


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こんな言葉で、今生での悩みや辛さ・苦しみ、迷いなどが消え去る訳はありませんが、 この理念に気づき、「空」の観念/心を持ち、命ある限り生き抜くということが”人間の智恵”であり、シュタイナーが述べている”畏敬の念/精神”が育まれるのではないでしょうか? 
-------- Anthroposophie = Anthropos (人間) + Sophia (智恵)


☆ シュタイナー特集らしい終わり方になりました!


宇宙船地球号
船酔いや船(地球号)から飛び降りようとしていませんか?
そんな時、宇宙船地球号に同乗した者として、手を差し伸べる!
そうありたいと願っている --------  お節介な特集です。
Sadhuと私

A .A .fromnow * Do-seki (道石)


きっと、いつかどこかで・・・・
いつか / 明日か 遠い未来か
どこかで / この地か 遠いどこかで
すれちがったり、お会いする事もあるかもしれません
もしかして、遠い過去に お会いしていたかもしれない貴方に
ありがとうございました。


シュタイナー(顔イラスト) A . A . fromnow Human Report - Rudolf Steiner
シュタイナー(顔イラスト)


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Prologue - Finish

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IN THE NATURE OF A PHILOSOPHY " ......
A .A .fromnow * Do-seki (道石)

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